NPOグリーンフォーラムは、それまで月に一度集まり、タイムリーな話題を議論しあってきた山水会という会の有志が、環境への取り組みを強く推し進めることを目的とし、2003年に設立しました。
その後、さかのぼること25年以上も前から、環境保全への関心が深く、東京・渋谷で頻繁に会合をもっていた仲間たちも合流、今の形が出来上がりました。
では何故今ラオスなのか。
ラオスという国を皆さんが思い浮かべる時、緑豊かな南国のイメージしか浮かんでこないかもしれません。
私達も最初はそうでした。
ベトナム戦争で世界一爆弾を落とされた国、共産主義が勝利した国、元仏教国。
そんなイメージだけでラオスに入った人達の多くが、この国の魅力に取り付かれてしまうのは何故か。
ラオスの北部にルアンプラバンという古都があります。
 
シャントーン寺院 町の中の商店
ヨーロッパの人達にとって、世界遺産の中で最も人気のある観光地となっているこの小さな街が持つ魅力は、そこに多数残っている古くからの寺院だけではなさそうです。
多忙な日々を送る先進国に身をおく人達が、ふと安らぎを覚え、穏やかな心になる癒しの空間に満ちた社会、人々の笑顔、その辺りを当たり前のように歩いている家畜たち、川で泳ぐ子供たち。みんな私達が失ってしまった光景です。

でも、そんな奇跡的に残った世界が今、危機に瀕しています。それを知ったのは10年前に取られた写真からでした。
人の身の丈ほどもある直径の大木、樹齢千年以上も経った大木がごろごろしている光景、その後ろに広がる木のない褐色の山また山。
焼畑の光景
木を運び出すために造成された山道が傷あとのように続く山肌。そこには美しい山国のイメージはどこにもありません。

ラオスヒノキの丸太 陸稲が生える焼畑
後でわかった事は、その木がラオスヒノキと呼ばれていて、ほとんどが日本の神社仏閣で使われてきたこと、
そして、日本の木曽ヒノキのようほとんど伐り尽くされて僅かしか残っていないことでした。
更に、現在そのラオスヒノキの植林は行なわれていないこと、長い間、山が再生できる間隔で行なわれてきた焼畑が、3年という短い周期で行なわれるようになり、山の荒廃が急激に進んでいることでした。
ラオスは、国としてNGOの活動を認可制にし、そのためのガイドラインを定めています。
2007年に日本で開催された植林に関する会議に、講師として招かれたラオス農林省高官を紹介され、私たちのラオス農林省とのコンタクトが始まりました。
そして、関係する諸機関の協力の下、活動が認められることになりました。
ラオスでの植林活動を中心に、私たちはこの美しい地球がいつまでも生命あるもののよき住処であり続けるよう活動の輪を広げていきたいと考えています。 |
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